2001年1月1日(月)

新年&新世紀明けましておめでとうございます。

年賀状が来た\(^O^)/月並みだけどこれが無ければ正月が来た気がしない

不思議だなぁ。今年は息子が郵便配達のアルバイトをしていて、元旦早々

朝7時半に出かけて行った。昨日も配達の準備で帰りが7時過ぎだった、さぞ疲れただろうに

ギリギリに起きてすっとんで行った。働く事は世の中の役に立つ為だそんな事を少しでも感じて欲しい。

昨年末からやっていた、夫と息子の共同製作のパソコンが31日にできあがった。

メモリが128、CPUが700、10GBと今迄使っていたノートパソに比べると早い早い。

立ち上がる迄にトイレに行ってる暇がないようだf(^ー^;

伯父さん、パパ、私、娘と4代に渡って使ってきたノートパソ途中HDを1度取り替えたけど

このパソが私をインターネットへの底なしワールドへと誘った。良かったのか悪かったのか

でも、この体が動く限りもう辞める事は出来ないだろう。

これで我が家はパソが6台になった。誰か何とかしてくれ〜

      

 

女が外で働く事に思う。その1

女が外で働くことについてこの頃しみじみと考える。

私にとって外で働く事は正直言って苦痛です。時間に追われて、いっぱいイッパイ、なんです。それじゃなんで働くのか?と問われた

ら。今は『お金の為!!』としか答える事が出来ません。ですから少しも楽しくなんかありません。

専業主婦だった頃ソレが憧れでもあった筈なのに、いざ仕事を始めて見ると決して楽ではない。そうだよね楽してお金貰える事なん

てあるわけないよね。なんかね、前は編み物も洋裁も料理もピアノも絵もetc・・・それなりになーんでも出来たのに今は、仕事以外の

全ての機能が失われてしまったような、そんな気がするんです。今はもうやろうとも思わない、しないで済むことならやりたくない

と言う気持ちです。どうして自分がこんな女(妻、母親)になってしまったのだろうか?

何故か、会社で猛烈に働く男が家に帰っても何もしないと言う気持ちが解るような気がする。そうつまり企業戦士達は疲れていたん

んだ。身も心もボロボロだったんだ。全てに完璧な人間なんて居るわけないんだ。でもあの頃朝洗濯物を干すベランダから見ていた

決まった時刻に、お洒落なスーツを着て素敵なバッグを提げ肩で風を切って颯爽と歩くあの人達を。年頃も私とそう違いはしない

であろう女性達を。羨望の眼差しで見ていた自分。何か自分が今と言う物から取り残された様な気がして焦っていた。

企業戦士とまでは行かないただのパートの私は一体なんなのだろうか?

すべてに対して中途半端な今の私、もしかしたら専業主婦だった頃よりも満たされない思いでいるのではないのだろうか。

たかかがパートの仕事に振り回され、掃除も炊事も中途半端。仕事をしている家庭を持った主婦はどんな思いでいるのだろうか

それともこんな事言ってるだけまだ私は余裕があるのだろうか?何もかも解らなくなってきている私です。

     

沖縄紀行その1

疲れたなんて言葉を言ったら多分叱られるだろう、なーんにも頑張ってなんていない私だから。でも今の生活が苦痛で苦痛でどうして

も逃げ出したくなる事だってある。

東京と言う場所に疲れている、狭い家、窓の外から見える景色?は壁ばかり洗濯物や布団を干してもすぐ日陰になるし子供達に伝

える文化なんて何もない、何処の家も四六時中窓は閉めっぱなし。暑いと寒い以外感じる季節感もない。

一度外に出ると、人と車と排気ガスと、自転車とでおちおち歩いても居られない。兎に角壁のない所へ行きたかった、人の居ないとこ

ろへ行きたかった。自分の環境を変えたかった。ラッシュ時の電車で潰されながらボロボロになって飛行機に乗り込んでもその先に

は希望が待っていたから耐えられた。

生憎の曇り空で飛行機の窓から見えるのは何処まで行っても雲、雲、雲ばかりこんなに果てしなく続くのも始めて見た。でもそのとき

はずーっとこんな果てしない雲海が続くのもいいかもと本当に思った。

ツアーには参加したくはなかった、きままにぶらっと、お気に入りのコースを時間を気にせずに行きたかった。兎に角今回は綺麗な

海岸線を求めてひたすら走った。夏なら海水浴やマリンスポーツでごった返すであろう瀬底や残波やエメラルドビーチやブセナに行

ってきた。誰もいない海岸を黙って見ていた、風を受け波の音をきき壁のない空間を堪能する事で癒された、それだけでも今回の旅

は来た甲斐があった。私の渇いていた心が水を含んだ海面のように満たされて行った・・・・。

何にも無い事に満たされる心があってもいいよね。

東京へきてからつくづく感じる、何にもない空間が如何に贅沢な物であるかと言うことに。田舎では当たり前の空間もここでは得難

い物になっている。何が良くてこんな所にみんないるのかなぁ。

あ、でもそれは私が勝手にそう思っているだけで、満たされて居る人だって居るはずだから言い切るの良くないなぁ。

羽田空港に着陸するときは、夜10時も近いのに飛行機は満席、煌々と光る、光の海に飲み込まれるように降りていく様を見て異様

な感じがした。夜11時を過ぎてると言うのにほぼ満員のモノレールや電車を乗り継ぎ、眠らない街の片隅で眠くて眠くて仕方ない私

がいた。

        

主人と呼ばなくなって!

既婚女性が、自分の配偶者に対して、「主人」と言う言葉を使うのを聞くとむしずが走り、極度の嫌悪感を感じる。

夫の事を人に対して『主人』と言う呼び方をしなくなって5年が過ぎた。どうしてこんな事にこだわるのかわからない人もいるだろうけど

私にとってそれは重大な意味がある。のつく言葉、主役、主要、主人公、主婦、その意味にはぬし、あるじ、中心、大切なと言う

意味が含まれている。それなら主人たる人が中心であり大切であり、自分はそうではないのか?

主と言う言葉を聞くと主従関係と言う言葉が先に浮かんでくる。旦那が主で自分が従う人、まさしく上下関係だ。

夫婦は対等であるべきで、主従関係であってはいけないと思う。確かに私仕事はしていても自分で生活出来るだけの収入はない

そこの所は夫には充分感謝している、逆に夫は収入はあっても、家庭内の一切の事をやり繰りするだけの器量はない。

そのことは私に対して感謝してる筈だ?(^_^;

それだけで充分ではないのか。人間として対等の立場で見てお互いを必要とし、自分の出来ない事に対し感謝してお互いを認め

あって行く。夫婦ってそれでいいんじゃないのかな、収入が多いから偉いとか、家事を出来るから偉いとかそんな事全然関係なくて

だから、主人と呼ぶことは、自ら従に立場を成り下げてしまっているような気がするのです。女だって、専業主婦だってもっと自分に

プライドを持つべきだ!!「そんなのただの固有名詞みたいな物じゃない」と笑った人がいたけど、私はどうしてもこだわりたい。

一人の人間としていつも家族と対等な立場でありたいから

 

 

 

 

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送